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2016年の機械学習系のニュースから思ったこと

コンピュータ囲碁Google翻訳

3月にGoogle DeepMindが開発したコンピュータ囲碁プログラムAlphaGoが、イ・セドル九段に4勝1敗で勝利。11月には、日本語のGoogle翻訳ディープラーニングを活用した新しい翻訳システムに切り替えられ、精度も自然さも大幅に向上したことが話題に。Google翻訳については、こんな記事も。

進化したGoogle翻訳では、どうやら人工知能(AI)が独自の翻訳方法を編み出しているようです。AIは翻訳の際に用いる「中間言語」のようなものを独自で内部に作り、まだ学習していないはずの言語の組み合わせでも一定の翻訳を行う能力「Zero-Shot Translation」を身に付けていることが発表されています。 

gigazine.net

 

脳の受動意識仮説

そんなわけで、この本をKindleで買って読んでみた。

この本は、今の人工知能の技術として「画像の足し算引き算」や「説明文(青空を飛ぶ赤信号)から画像を生成する」技術が紹介されていたり、もっと先のややSF的なこれからの方向性についての対談まで載っていて、読みやすく、おもしろい本だった。

 ちなみに、人工知能が作った画像をまとめているQiita記事を見つけて、こちらから上記の「青空を飛ぶ赤信号」なども見られる。

qiita.com

 

そしてこの本には、なんと「脳の受動意識仮説」の前野隆司教授との対談が載っていた。受動意識仮説とは、この本の注釈によるとこんな感じ。

様々な科学的事実から、人間は自分で意思決定する前に身体が反応していることがわかっている。ならば意思や意識は、身体が反応したことに対して受動的に追認する機能しかもっていないのではないかという仮説。 

吊り橋効果が、分かりやすい例としてよく引き合いに出される。

一緒に吊り橋を渡った人を好きになりやすい。それは、吊り橋が怖くてドキドキしているのを、「この人が好きでドキドキしている」と脳が錯覚して思い込むというもの。

 

受動意識仮説は、もともとは下記の本で提唱されていて(単行本が出ているのが2004年、自分が読んだのは2008年くらい)、学生時代に読んだ本の中でもっとも衝撃を受けた本の1冊だった。

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

 

 人間が「意識」を獲得した理由を、下記のように説明している。

「意識」がないということは、「無意識」の小びとたちの多様な処理を多様なまま記憶する必要があるということだ。しかし、たくさんの小びとたちの処理は分散し並列に行われている。これを直接エピソードとして記憶しようとしても、膨大でわけがわからないし記憶しきれない。それに、エピソード記憶は、自分が行ったこと、注意を向けたことの記録だ。たくさんの子びとたちではなく、「私」一人の体験でなければならない。
つまり、エピソードを記憶するためには、その前に、エピソードを個人的に体験しなければならない。そして、「無意識」の子びとたちの多様な処理を一つにまとめて個人的な体験に変換するために必要十分なものが、「意識」なのだ。「意識」は、エピソード記憶をするためにこそ存在しているのだ。「私」は、エピソードを記憶することの必然性から、進化的に生じたのだ。

(単行本P.114) 

 

コンピュータ将棋 

コンピュータ囲碁のことはほとんど知らないので、少しだけ知っているコンピュータ将棋について。

 今年は三浦九段の不正疑惑騒動&竜王戦出場停止(結局、どういう決着になったんだろう)などもあったが、紹介してもらって読んだWebマガジン『E!』の「機械と人間、その第三の道をゆく」という千田九段の対談は、読んでいてとても興奮した。

 千田九段はこの対談の中で、「ソフトとの圧倒的な差を感じて以来」の勉強法として、下記の話をしている。

私の勉強法としては、棋譜を見てこの手を刺したらソフトの評価や読み筋がこう変わったという方法でやるわけです。

ソフトはもっと細かい部分についても計算していて、人間の言葉で表すように考えているわけではない。ソフトとしては例えば駒同士の関係が変わったことで評価軸が変わるといったことなのでしょうが、それを「隙のない陣形を評価している」みたいに理解しながら全体的な特徴を見て判断してくという感じでやっています。

将棋界で言う「研究」というのは、具体的な局面から具体的な手順でここをこういう風にすれば良くなるというのをあらかじめ調べておくことです。私がソフトの評価値を見ながら棋譜を検討することでやっているのは研究というよりも「勉強」ですね。学習と言ってもいいですが、将棋に関する感覚を変えていこうとしています。 

 これは、すごい話で、コンピュータを研究に使うのではなく、コンピュータから大局観を学ぼうとしている(コンピュータの大局観を人間の言葉で理解しようとしている)と理解した。

 あの梅田望夫でさえ、2010年の本で「「コンピュータ将棋には指せない手を指す」ことができるのは、トッププロの大局観ゆえのものであろう。」と言っている。(ちなみにこの本、とてもおもしろいです)

 

どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語

どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語

 

その大局観を、コンピュータからプロ棋士が学ぶようになったのだ。 

 

構成論的アプローチ

これも学生時代だったけど『ロボットとは何か』という本を読んだときに、「構成論的アプローチ」というのが紹介されていた(この本もとてもおもしろいです)。 

ロボットとは何か――人の心を映す鏡  (講談社現代新書)

ロボットとは何か――人の心を映す鏡 (講談社現代新書)

 

このCPGにさまざまなプログラムを加えてアンドロイドに実装することにより、アンドロイドが非常に人間らしい動きを持てば、逆に、
「アンドロイドを作ることを通して、人間の脳の機能が分かる」
可能性がある。アンドロイドに実装したプログラムが、脳の知られていない機能を実現してる可能性があるのである。
このような「先にまずロボットやアンドロイドを作ってみて、そこから人間を知る」というアプローチを、「構成論的アプローチ」と呼ぶ。 

コンピュータ将棋がそうなりつつあるように、「意識」も人工知能に実装されることを通して理解が深まっていき、その中で新しい概念もたくさん発見されていくんだろうなと、それはとても楽しみなので話についていける程度には勉強していたいと、月並みだけど思った1年でした。